館山の板碑
1189年に源頼朝が奥州の藤原氏を滅ぼしその功績から会津蘆名氏の祖である佐原義連に会津の地が与えられました。
鎌倉武士が会津の地に来た時代に、供養塔で梵字で仏や菩薩などの本尊が書かれた板碑が建立されています。
会津若松市には14基の板碑が確認されていますが、そのうち12基が湊町に集中しています。
崎川地区の石動木で昭和40年代に工事の際に大甕が出土し、その中に南宋の渡来銭が大量に入っていました。
渡来銭は13世紀末に入れられたと考えられていますが、富を集積できる能力を持った何者かが存在していたことと、保存場所が忘れ去られるような勢力交代といった事件があったことが推定されます。
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